2014年1月24日 (金)

29回目<僕が「中島みゆき」の歌を愛する理由>その②

■H26年1月24日

29回目<僕が「中島みゆき」の歌を愛する理由>その②
     ~歌ってよ南直哉(じきさい)さん~

 昨年11月、姉の夫が逝去した。車を運転しながらそんなことや、「もうすぐ好きだった高校の先輩の一周忌やなあ」とかいったことをしみじみ考えていた。そんな時、ふと車のCDから中島みゆきの「誕生」が流れてきた。涙が止まらなくなった。

   ふりかえるひまもなく
   時は流れて
   帰りたい場所がまたひとつずつ
   消えてゆく
   すがりたい誰かを失うたびに
   誰かを守りたい私になるの

   わかれ行く季節を数えながら
   わかれ行く命を数えながら
   祈りながら嘆きながら
   とうに愛を知っている

 みゆきさんの歌は時に人の心の底をえぐります。 深く深く・・
しかしそれは「そんな季節もある。でもあなたはそのままそこに居ていいのよ」と語りかけてくれるような心地よさがある。その世界は誰もが失いかけた「自己の存在理由」をすくいとれる空間です。まるでお母さんに抱かれるように・・・ 

<恐山の僧 南直哉さんは語る>

御注意:この先は今まで「この世の中は生きづらい」とか「いっそ死んでしまいたい」と思ったことのない人は読んでも意味がありません。

 12回目に中島みゆきさんのことを書いた時にも南直哉さんのことPhoto_2
をお話しました。氏は「生きていたくない」と恐山を訪れる人々に、あえて自殺も人間の選択肢の一つであることを否定せず、それでも「覚悟を決め、苦しみを引き受けた上で生きる決断をする」ことを促し続けます。その語り口に私は中島みゆきさんの歌における「癒し」と共通するメッセージを読み取ります。
 今回は南直哉氏の語り口をたどりながら、みゆきさんの歌をオーバーラップさせてみたいと思います。なお、氏の言葉は①YOUTUBE「ニュースの深層 私とは誰なのか?http://www.youtube.com/watch?v=0ZCWgqnRHpk」及び②南氏の著書
「なぜこんなに生きにくいのか」(新潮文庫)から引用または聞き取りしています。

 人は自己の存在理由を見いだせないと生きてゆけません。その際には「生まれてきたことを全面的に受け入れてくれる誰かあるいは理念」を必要とするのです。

   
   Remember 生まれたとき
   誰でも言われたはず
   耳を澄まして思い出して
   最初に聞いた「Welcome」
   Remember けれどもしも
   思い出せないなら
   私いつでもあなたに言う
   生まれてくれて「Welcome」
   (「誕生」)

 高度経済成長期には「自己の存在価値を見出すための作法」が誰もに存在しました。ところが今は自己存在の根拠をめぐる闘争はとても過酷で個人には厳しい時代です。「そんなことくらい我慢しろ」といってすませられたのは過去の話です。

       暗い水の流れに
   打たれながら
   魚たちのぼってゆく

   光っているのは傷ついて
   はがれかけたうろこが揺れるから
   
いっそ水の流れに身をまかせ
   流れ落ちてしまえば楽なのにね
   
やせこけて そんなにやせこけて
   魚たちのぼってゆく

   ファイト! 闘う君の歌を
   
闘わない奴等が笑うだろう
   
ファイト! 冷たい水の中を
   
ふるえながらのぼってゆけ
   (「ファイト」)

 
 
自殺したくなるほど苦しい人が、自殺しないで生きていると、「えらい」と思います。(中略)そういう人に心から共感します。

   仕方ない仕方ない
   そんな言葉を
   覚えるために生まれてきたの
   少しだけ少しだけ
   私のことを
   愛せる人もいると思いたい

   
   
 
   初めましてあした 初めましてあした
   あんたと一度つきあわせてよ
   (「はじめまして」)

価値は「ある」ものではなく「作る」ものだというのはまさにそういうことです。生きるのが尊いのではなく生きることを引き受けることが尊い。

   もういくつめの遠回り道
   行き止まり道
   手にさげた鈴の音は
   帰ろうと言う
   急ごうと言う
   うなずく私は
   帰り道もとうになくしたのを
   知っている
   (「遍路」)

「敬う」というのは基本的に想像力です。先ほどの「慈悲」の話と一緒です。相手のあり方とその苦しさを何とかわかろうとする努力。ここに慈悲の根幹があります。

       ああ
   人はけもの
   牙も毒も棘もなく
   ただ痛むための
   涙だけを持って生まれた
   裸すぎるけものたちだから
   
   僕はほめる
   君の知らぬ君について
   いくつでも

   触れようとされるだけで
   痛む人はやけどしてるから
   通り過ぎる街の中で
   そんな人を見かけないか

   (「瞬きもせず」)


 
 「個人」は別のものに照らさないと見えてきません。そのための「鏡」としての宗教は今の日本には存在しません。だから人間関係をつくるための「共同体」が必要とされています。
   
   
   
月よ照らしておくれ
   涙でにじまないで
   僕の身のほどじゃなく
   夢だけを照らしてよ

   夢の通り道を僕は追ってゆく
   (「夢の通り道を僕は歩いている」)

<心の行き場を受け入れる里山資本主義>

このところ、里山資本主義のお話をしながら「社会を小さく回すことにより包摂度を上げることが必要」ということを何度も述べてきました。社会、行政システム、経済、エネルギー等の観点から様々な識者が同様の考えを持つに至っていることを紹介してきました。
 ここに至って心の問題からも同じ要請があるということがわかりますね。
 中島みゆきさんはDJとして、南直哉さんは禅僧として、今を生きる人たちの様々な悩みに直面しながら、「頑張ればなんとかなる」では問題は片付かないことを、直感的に感じていると思います。それが以上のような言葉に昇華されています。

 ひとつだけ中島みゆきさんにお願いしたい!かつてDJとしてリスナーと共有していた時間はまさにここでいう「小さな社会」だった。そこは誰もが承認される広場のようなものだった。そういう意識で、新たな場を復活させて欲しいですね!
 (現在「中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ」として少しだけ復活しています)

<僕が死にたかった頃>

35歳で設計士として独立して三年目に、ばったり仕事がなくなった。数ケ月全く売り上げがなかった。その間も所員の給料や事務所経費に蓄えはどんどん消えてゆく。最後は食費しか削るところはないので、夜は食べ残しを冷凍しておき、昼は朝、家で食パンを二枚焼いてきて食べた。とはいえ「頼る先」はあったので、経済的にどうしようもなくなるわけではなかったが、心はどうしようもなかったですね。
 当時夫婦仲は最悪で、よるとたかると掴み合いの喧嘩をしていた。原因は根深く、将来は真っ暗だった。でもやはり「子はカスガイ」でした。
 
 「こんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ」と中島みゆきさんの「時代」を口ずさみながら、「いつまでこの歌を歌い続けないといけないのかなあ・・・」と思った。夜は「朝、目が覚めなければよいのに」と思いながら寝ました。
 今も仕事は世の中にさほど認められているわけではないけれど、「目の前のお客さんに喜んでもらえばそれ以上は欲を出さない」と割り切っています。
 最近、奥さんとは仲良しです。やはり「受け入れること」しか、道はない。昔は「自分の信念に従う」ことが最優先事項だったので、奥さんがわかって欲しいと思うことをわかってあげられなかった。南直哉さんの言う「慈悲の心」「想像力」が欠如してたわけです。昨年そのことを奥さんに謝りました。気づくのが遅すぎですね・・・

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2013年5月 2日 (木)

12回目<僕が「中島みゆき」の歌を愛する理由>

■H25年5月2日

12回目<僕が「中島みゆき」の歌を愛する理由>
     

<「幸せ」の意味>
 余談ですが(というか全てが余談という話もあるが)私の辞書にはかつて「愛する」という言葉はありませんでした。どうも日本の文化圏の外側の概念なので意味がわからん。使うのも恥ずかしいし・・・が、何かの折に河合隼雄氏が「愛する」とは「決して関係を断ち切らないこと」と定義しておられ、「これなら使える!」と思いました。で、私はみゆきさんの歌も「愛して」います。
 同じような話で「幸せ」という言葉もあまり関心のない言葉でした。前回も書いたように、「人間は単に地球に寄生する生物の一種」なので、「幸せ」になるために生まれてきたのではない」と私は思っているからです。
 これについてはみゆきさんが、うまい説明をしてくれました。

 
「辛い」という文字の上の棒をぐっと引っ張って「1」を「十」にすると「幸せ」になる。つまり十分「辛い」を味わってわかるのが「幸せ」よね・・・・

 こういう情のある考え方が私は好きです。癒されます。

<「癒し」のツール>
 恐山に
南直哉(ジキサイ)という禅僧がいます。(YOUTUBEで検索すると話が聞けます)
彼は「死にたい」と嘆く人に対して「生きているのがいやなので死にたいという考えなら死ぬな」と諭します。仏教の教えをその際「ツール」として使います。という意味の話をされていました。私にとってこの言い回しは新鮮でした。というのは宗教者といえば、キリスト教なら「キリストの教えがすべてだ」として人生の全てをキリスト教にささげる・・というイメージが普通だろうなと思うからです。
 みゆきさんも「私の歌で癒されるならそのためのツールとして聞いてもらえばよい」と語っています。要するに聞きたい気持にならないなら聞かなくてよいですよということ。みゆきさんの歌を「緊急避難所」にしてる人もきっと多いですよね。また「歌の意味の解釈は聞く人にまかせる」として、彼女は自分の歌の解説はしません。聞く人の自由にまかせています。

 こういう態度が私は好きです。人の気持ちがよく分かっていると思います。

<中年の気持ちがわかる??>
 NHKで「人生の10曲」を選ぶという番組があって、ファッションデザイナーの山本耀司という人がみゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」を選んでいました。この歌の「旅はまだ終わらない・・・」という部分で、「俺もまだやれるんだ」と思ったという話。私もポピュラーな「地上の星」よりこちらの方が好きです。三番の歌詞で「行く先を照らすのはまだ咲かぬ見果てぬ夢。はるか後ろを照らすのはあどけない夢」のところが泣かせます。私も含め、多くの人の「立ち位置」と共振すると思います。このへんが「夢は必ずかなう!」と歌う、ある意味能天気な人達と一線を画しています。若い人にとってはそれでもよいのかも知れないけれど、私たち中年にとっては「現実」が見えてるのです。
 中年といえば
、「時刻表」も共感を覚える歌です。「満員電車で汗をかいて肩をぶつけてるサラリーマン。ため息をつくならほかでついてくれ。君の落したため息なのか、僕がついたため息だったか誰も電車の中わからなくなるから」・・・・

 こういう共感できる歌詞が私は好きです。なぜこんな歌詞が書けるかというと、人・社会を鋭く観察しているからです。その直観が如実に発揮された歌があります。

<「4.2.3」という歌>
 1997年4月23日(日本時間)テロリストに占拠されていた在ペルー日本公使邸に兵士が強行突入し、日本人の人質が無事開放されました。おそらくTVでこのニュースを見ていた中島みゆきは、レポーターが累々と横たわる傷ついた兵士やテロリストの背景にはふれず、日本人が解放されたことのみを伝えることに違和感を覚え、「この国(日本)は危ない。何度でも同じあやまちを繰り返すだろう」と直観してつくった歌(というより「叫び」)です。
 この時みゆきさんには知る由も無かったのですが直観はあたっていました。殺されたテロリストたちの多くは金で雇われた少年少女でした。ある少女はつかまり、一度外へ連れ出されて裸にされ、見せしめにされてから、射殺されました。ある日本人捕虜は、「兵士が突入して来た時、占拠していた少年少女が盾となってかばってくれた。そうでなければ我々が撃たれていただろう」と証言しています。これらの事実は決して報道されていない。(当時記者として取材にあたっていた青山繁晴はこの事に失望して記者をやめたとのこと。TOUTUBE「青山繁晴 ペルー日本大使公邸占拠事件の闇」に詳しい)
 このように物事を先入観なく世の中を見つめて創った歌は他にもあります。「世情」「誰のせいでもない雨が」等等

 きりがないのでそろそろまとめを・・
FACEBOOKにも「中島みゆきさんがよい」と書いた手前、今回説明を試みましたが、まだまだ書ききれそうにないなー
 ちなみに少し前の話。通勤電車で私はいつも本を読むのですが、帰宅時に本を切らしてしまい、落ち着きの無い私は何かしていないと気がすまないので「そうや。ここから駅をでるまで(約1時間)中島みゆきの歌を歌い続けれるか挑戦してみよう!」と思い立ちました。
 結果は・・・多分一時間半くらいは大丈夫だとわかりました。(電車で横にいた人は「この人なんで口をもごもごさせてるんや?」と思ったことでしょう。)
私は中島みゆきさんの歌をその程度に「愛して」います。

 

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