2014年5月12日 (月)

35回目 あなたが殺したい相手はどこに存在するのでしょう?

■H26年5月12日

35回目 あなたが殺したい相手はどこに存在するのでしょう?

<人の性格は脳の機能に依存するようです>


 母親が認知症になって以来、人の精神の不思議を実感する。週に一度母親は病院の脳トレーニングに通ってるが、「今日は足が痛くて大儀なのでやめとく」という。仕方なく病院の迎えを断るのだが、その後何食わぬ顔で洗濯してたりする。「足が痛くないのか?」と問うと「だいぶ良くなった」という。「医者に行くか?」と聞くと「それほどでもない」という。とにかく「時系列的に考える」とか「論理的に思考する」というのは全く無くて何につけても「その時、その場でつじつまを合わせてるだけ」なのです。
 ケアマネージャーさんにそういう話をすると「脳血管障害型」の認知症の場合などはもっと大変で、性格が変わって凶暴になったりする。とのこと。(ちなみにうちの母親は「アルツハイマー型」です。) 
 この種の話は脳神経関係の本で読んだことがある。脳卒中で脳の特定の部分にに障害を受けると、突然「性犯罪を犯す傾向」が生じたりするといった事例です。ということは「人の性格・性向は(100%かどうかはわからないが)脳の機能によって決定される脳内現象である」ということですね。

<自己意識は脳内現象か?>

 では、自分を自分と意識している存在(自己意識)は、脳内現象でしょうか?例えば交通事故で脳に障害が発生すれば、自己意識の在り方は変わるのでしょうか?私は多分そうじゃないやろ、と考えています。
 その根拠は以下によります。「10回目<無意識への招待>その3」 にも書きましたので参照ください。「超常現象」と考えられていた「臨死体験」は今では脳のある部分が作用する「脳内現象」であることがわかっています。ただそれでは説明がつかないのが、「体外離脱」とか「転生」とかいった現象です。ここでは詳しく説明しませんが、「意識」には今の科学では解明できていない存在形態があって、そこではこのような現象が起こり得ると考える方が合理的だと思っています。Photo_3 また「意識」の役割はなにかというと、会社のCEOのようなもので、体や無意識が勝手にやってくれていることに対してあとから報告を受け取る立場です。ただ、この報告をもとに意思決定をする役割でもあります。「8回目<無意識への招待>その1」参照)
 
この考え方をすると、通常の「精神」と「肉体」とは、区分する場所がひとつずれますので、ここでは「自己意識」「ヒト機能体」という区分で話を進めます。(図参照)脳が損傷すれば影響を受けるのが「ヒト機能体」であり、受けないのが「自己意識」だと思ってください。
 ちなみにこれは科学者によっても意見が分かれています。東大病院救急部の矢作直樹氏や解剖学者の養老猛氏は、同様の意見の持ち主ですが脳科学者の茂木健一郎氏は、すべてが脳内現象だと考える立場です。 

<例えば「脳死」をどう考えるか>

 でもこのように考えると「死」に向き合う態度が少し変わってきます。死がヒト機能体の死を意味するのは確かですが、自己意識にとっては何を意味するか?先ほどの「幽体離脱」や「転生」を説明するためには、死後も別の存在形態で存続するのかもしれませんが、「山本一晃」の意識が「山本一晃」として存続するわけではありませんから、そういう意味では「終わり」を意味しますね。ここでは霊魂や死後の世界の存在がテーマではありませんから、これを自己意識の「死」として話を進めます。
 例えば「脳死」はヒト機能体の死を人間の「死」と見なすということになります。山本一晃としての意識は死んでないのにこれを山本一晃の「死」とみなしてよいのか?疑問が残りますね。

<「死刑」はもっとわからなくなる!>

 「死刑」についても別の観点が見えてきます。最初にお話したように、犯罪傾向は脳内作用が影響します。A氏がB氏を殺したのはA氏のヒト機能体の原因によるものであり、A氏の自己意識によるものではないかもしれない。A氏を死刑にすることはどちらも一緒に死を宣告することになる。私は(少なくとも今までは)死刑廃止論者ではありませんが、こう考えるとわからなくなってきました。
 たとえば自己意識の例えを「CEO」ではなく保護者である「親」のようなものだとしましょう。子供が人を殺してしまったとき、親も罪の意識を持つでしょうが、親を一緒に強制的に死刑にしてよいものか?少なくとも「意思」を確認すべきでは?と思ってしまいます。
 これは死刑になった人に死刑を受け入れるか意思確認するという事ですね。小学校で8人の子供を殺傷した宅間守は死刑の早期執行を望み、実行されました。あり得ない考え方ではないのでは?と思います。

<他人の痛みを理解する手段>

 「他人の痛みをわかる」「他人の苦しみを想像できる」ことが社会規範の根拠となることを31回目(どぶに捨てられた「倫理」を拾い上げる-その②)でお話ししました。今回の考え方はそのための手掛かりになるのではと考えます。
 知り合いに「うつ病」の人がいます。それに対してまわりの家族もいろいろ悩みます。ついつい「本人の意志が弱いからだ。根性だせば治る!」と考えてしまいがちです。でも今回の考え方をすれば見方が変わってきます。つまり、病気なのはあくまで「ヒト機能体」の方なわけです。自己意識ではどうにもならないから本人も苦しいに違いありません。本人が悪いわけではない!

  「自己意識」は可哀そうなことに、ペアを組む「ヒト機能体」が、意志通り動いてくれなかったりするわけですね。CEOも苦労は尽きない!「個人」は英語でIndivisual「divide(分割)できない」と表現しますが、実は分割できるわけで、このペアでできている。かどうかは定かではないけれど、このように考えることは、無駄ではないと思います。おそらくですが、このペアのことを歌っているのが中島みゆきの「二隻の船」。かどうかは定かでないけど私はそうだと思っています。

おまえとわたしは たとえば二隻の船
暗い海をわたっていくひとつひとつの船
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の船
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をつぶやくばかり
いつかちぎれる絆 見たさに
高く 高く 高く

 
 

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2013年4月23日 (火)

11回目<無意識への招待>その4最終回

■H25年4月23日

11回目<無意識への招待>その4最終回
     *宇宙の構造と無意識

<宇宙の構造と人間の存在>
 この宇宙でなんで人間が存在し得ているの?地球上で生命が誕生し得たことは不思議のごく一部です。それ以前に、原子核を成り立たせるために陽子と中性子を結合している力、原子核の回りを回転し続けるための電子の質量と電気力、それらがたまたまバランスして原子は形成できている。さらにいうと重力がこれほど微妙に調節されていなければ地球は成り立っていない・・・
様々な物理定数はなぜこんなに人間の存在に都合よくできているのか?(これは科学における「人間原理」という議論です)
 これに対する一番科学的な答え(と私が思っているの)は、確率が1/∞に近いのは確かだろうが、それに乗じる「場合の数」も無限にあるという考えです。

<宇宙のランドスケープ>
 少し前に「ヒッグス粒子」が発見されたか?と話題になったスイスのCERN(欧州原子核研究機構)でもうひとつ成果の期待されている実験があります。それは高エネルギー加速器による衝突実験により、「重力子」が直角方向に飛び去るのが観測されれば、現在最新の宇宙構成理論である「膜宇宙論」の証明につながるというもの。もしこの理論が正しければ、この宇宙における力の全てが統一的にで表現でき、さらに量子力学と相対性理論も合体できるという壮大なものです。
 この理論によれば、宇宙は二枚の膜状に広がり、11の次元を持つらしい(!?)この宇宙(ユニバース)におけるビッグバンはこの二枚の膜がちょっとぶつかってエネルギーの準位が変わっただけとも考えられる。(なんのこっちゃ!)この宇宙と同様の宇宙はあぶくのように他にも発生しているかも知れない。(メガバースの考え方)従って宇宙が無限に存在しうる理論上の可能性(宇宙のランドスケープ)が想定できる。(このあたりはレオナルド.サスキンド著「宇宙のランドスケープ」日経BP社に詳しい)

<宇宙の構造と精神世界>
 宇宙に対するスケール感が少し狂ってきた所で逆にひっくり返すようなお話をひとつ。この宇宙の大きさは何百光年単位のスケールですが、相対性理論が正しいとすると、宇宙を飛ぶ光にとっては、一瞬で宇宙の果てに到達します。(以下橋元淳一郎著「時間はどこで生まれるのか」集英社より引用)「光子にとって、宇宙の大きさは0であり、流れる時間もまた0である。つまり、光子にとっては時間も空間も存在しない。光子にとっては無であるような世界の中に、われわれは広大な空間と悠久の時間を見ているのである。」こうなってくると想像を超えた何でもありの世界ですよね。
 ではその3で想定した精神世界はこの宇宙の構造とどう関係しているのだろう?
 SF的で面白い宇宙の考え方としては、ミクロの素粒子を観測する我々を宇宙の外から別の生命体が観測しているといった構造。外から観測しているのが別の生命体ではなく、実はそここそが我々の精神世界であるという考え方もある。(実際に臨死体験の証言のなかで同様の話がでてくる)または、宇宙の11次元のうち、折りたたまれて見えない次元の中にあるとか、ダークエネルギーの正体だという人もいるが、根拠は希薄な感じがします。
 実はこの答えはその1少しふれた、「脳を損傷した脳学者の体験記」の中に出てきます。(ジル.ボルト.テイラー著「奇跡の脳」新潮文庫)この体験は幻想ではなく、意識のある状態で脳のある部分の機能が失われた時の認識を記していますので、非常に確かな情報です。以下引用します。

「わたしたちは確かに、静かに振動する何十兆個という粒子なのです。わたしたちは、全てのものが動き続けて存在する、流れの世界のなかの、流体でいっぱいになった嚢(フクロ)として存在しています。(中略)目に見える世界の全てが、混ざり合っていました。そしてエネルギーを放つ全ての粒々(ピクセル)と共に、わたしたちの全てが群れをなしてひとつになり、流れています。」
 
この世界が印象派の点描画のように感じたそうです。

<終わりにー今のところはー>
 
その1から通して読んでいただけると、こうまとまるのがわかっていただけると思います。
 とどのつまり、この宇宙は
エネルギー(=質量)そのものです。それが粒子やエネルギーの状態であったり、まだ我々が理解できていない精神世界といった形式で存在しています。それらが我々の「脳」の情報処理により、この世界が実体感のあるものとして認識されているに過ぎないということです。そこでは「無意識」が一生懸命働いていますが、「自意識」はその上にちょこんと乗っかってるような存在です。「無意識」がやってくれることに方向付けだけすればよいのです。
 これって「色即是空」「空即是色」の概念そのものだと思います。いやーお釈迦様ってほんとーに偉いですね!(水野晴夫風)
 でも一番わからないのは、「生命」がなぜ誕生したかのところです。いろいろな説があるようですが、必然性があったのかなかったのか???ひとつ言えることは、人間も地球に寄生する生物の一種だということですね。こういう態度で謙虚に生きて行きましょう。

 私は今のところはこういうことやろなーという認識を持っていますが、このことでずいぶん気が楽になりました。ここまでついて来てくださった方もそう感じていただければうれしいです。

 (何度も言いますが、オカルトの話とはちゃうで!)

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2013年4月19日 (金)

10回目<無意識への招待>その3

■H25年4月19日

10回目<無意識への招待>その3
     *精神世界と無意識

<科学的であること>
「無意識」はどこにあるのか?脳の中に収容可能か?どうやって子孫に伝えられていくのか?個体が死を迎えると同時に消滅するのか?
 
上記のような問には誰も確信を持って答えられない。でも理科系好奇心モリモリ人間としては、なるべく理詰めに考えたい!このような状況で<科学的であること>は「科学的に実証されていない事実は何でも起こりうる」と心を広く持つ態度だと思っています。
 
武田邦彦さんがよく言っていますが、人類の長い歴史の中で20世紀の初頭に核融合の概念が発見されるまで、「なぜ太陽は燃えているのか」誰も知らなかったんですからね。

<精神世界は存在するか?>
 その1でもふれた本ですが、
立花隆氏「臨死体験」を書いたのはこの現象が「現実体験説」(実際に死後の世界があるという説)か「脳内体験説」のどちらによるのか知りたかったから。結果として多くの現象が脳内の側頭葉に対する刺激により説明することが可能ということがわかってきた。これで全てが解決すれば、話は簡単なのですが、全く説明できない事象が残る。ひとつはいわゆる「体外離脱」その1でふれたように、意識不明で手術を受けている人が天井から見ているような記憶があるという話であれば、「無意識」の認識能力ということもできそうだが、立花氏の本にでてくるように、建物の外にいなければわからない事実を認識したということになると、脳の中だけでは問題が片付かない。他にも、別の部屋で催眠実験を受けていた二人が同じ夢を見てその中でそれぞれの役割を演じていたという話も同じです。また別の話で、子供が行ったことのない遠い国の村のことを話す内容が事実だったと言う現象。(いわゆる「転生」)
 これらを「インチキだ!」と無視するのは、思考停止に陥るだけ。ここではとにかく
「我々は物質世界のことも皆目わかってないのだから、精神世界が存在しても何らおかしくはない」と考えましょう!そう考えればいろんな疑問を素直に理解できますし、なにより「死を恐れることはない」と感じます。(その意味では「臨死体験」を是非お読み下さい。)

 もう少しわかっていただくために「臨死体験」より引用します。
哲学者C.D.ブロードの見解:「人間は誰でも本来的にはその身に起こったすべてのことを思い出し、(ユングの「個人的無意識」)宇宙に起こっていることは、どこに起こっていることでも知覚することがどんな時でもできるものなのである。(ユングの「普遍的無意識」)そして脳や神経組織の機能は、もしこれらがそれを締め出さなければ、われわれがこれに圧倒され混乱させられてしまうことから、われわれを保護することにある。」
*注:( )は私が書き込んでいます。

 なのでその1でも書いたように、「自意識」は直接「無意識」にアクセスできない仕組みが必要なのです。ただ天才脳の人は不意に無意識から漏れ出した情報を意識することができる能力があったのでしょうし、イエスキリストや釈迦は修行により無意識の世界に入れたということでしょう。「理科系的記述」をしたいので、なるべく宗教にはふれないようにしてるのですが、キリスト教の三位一体説(天なる父と子であるキリスト、及び各精霊はひとつのものであると言う考え方)も理解可能となりますし、仏教で無我の境地が「悟り」であり、誰もがその境地に達することは可能である(仏性を持っている)と説くのも同じ構図で納得できます。さらに我々が死後どうなるかということも自然と想像できます。ただ多分その時「自意識」は無くなっているので自分で「やっぱりそうだったんだー」と思えないのが残念ですね!確認したい人は是非修行をして悟りを開いてください。( ̄▽ ̄)(下図参照)

Photo_3

ここまで来ると「精神世界は宇宙のどこにあるんやろう??」と思いますよね!
ということで次回は

<無意識への招待>その4(最終回)*宇宙の構造と無意識

ということで!

 

 

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2013年4月15日 (月)

九回目<無意識への招待>その2

■H25年4月15日

九回目<無意識への招待>その2
     *生命の起源と無意識

<生命はどうやって出発したの?>
 その1では「無意識」が生命の成り立ちと深く係わっているだろうというところまで進みました。ここで一度「無意識」から離れて、生命が成立した条件について考えます。
 私の友人にも「そんなん神様がつくったんやろ?」と理科系的でないことを言う奴がいますが、知れば知るほど複雑な生命の仕組みを、ある意志をもって創るのは不可能ですし、ましてや最初の生命に対して人に向かって進化する仕組みを組み入れる事など不可能!
 では偶然できたのか?ある学者が、そのために要する化学反応時間をざっと計算しても、宇宙ができて今まで(約138億年)より遥かに長いらしい。そもそも、宝くじで一億円当たった人が次にまた一億円当たる可能性はほとんどないだろうし、仮にそれが起こり得たとしても、そうしてごく低い確率で誕生した一個の生命が生き残れるなどと考えることは現実的でない!
 答えはその中間にあるはず。ある条件が整ったときに、生き残る可能性のある原初生命体が大量にできて、そのうち生き残れる条件を持った個体が進化の出発点となったと考えるのが妥当でしょう。(科学的にオーソライズされてる話ではまったくありませんが)ここで問題にしたいのは、その原初生命体(おそらくいろんな有機化合物の集合体)がどのような条件を持った組織であったかです。

<生命は自然法則にあらがう意思>
 例えば台風は毎年必ず発生します。これは誰かが棒を持って渦巻きを起こしているのではないし、低い確率で偶然できるのではなくて毎年必ず生じる現象です。台風の要素となっている空気を構成する分子は、自分たちがぐるぐる回ろうと思って回っているのではないけど、何らかのアルゴリズムにより、全体として渦巻きを構成している。こういう現象における部分と全体の振る舞いは複雑系の科学の対象です。(参考:「複雑系」Mミッチェルワールドロップ著:新潮社)サンタフェ研究所で始まったこの考え方は物理や経済まで対象としていますが、その中に人工生命をコンピューターシュミレーションを使って作り出すという分野があります。構成要素にどういう初期条件をプロムラミングすれば全体としてどう振舞うかについて示唆に富む報告がなされています。
 部分が組織化して全体を構成していく課程で、ある一つの命令が部分を支配するトップダウン型のプログラムよりも、トライ&エラーによって正解を見つけ出しながら全体を構成して行くボトムアップ型のプログラムのほうが、効率的に働くという結果があります。実際、例えば受精卵は分割し、分化して、いろんな器官ができて行きますが、ひとつひとつの細胞は、中央からお前は目になれ、お前は耳になれ、という指令をうけるのではなく、回りの様子を見ながら、あいつが目になるなら俺は耳になろうという振る舞い方をするといわれています。
 この様に
「自己組織化」しながら成果を記憶し、しかも経験を蓄積して次に生かせる能力があったからこそ進化できたのでしょう。これは「生命の意思」としか言いようがありません。なぜなら自然のままにまかせれば、「エントロピー増大の法則」により、無秩序(=死)へ至るのが必然だから。橋元淳一郎氏はここに「時間の意味」を見出しています。(「時間はどこで生まれるのか」集英社)

<「無意識」はどこにあるんだろう?>

 「無意識」のやってることはこの「生命の意思」(「意思」といっても「自意識」のことではない)そのものですよね。原初生命体がどうやってできたのかは私には(というか今の所誰にも)わからない。ただ一旦仕組みができてからは、「生き残る」ための戦いが「進化」であり、「無意識」の歴史であったのでしょう。
 では
「無意識」はどこにあるのか?経験はどこに蓄積されているのか?脳の中に収容可能か?どうやって子孫に伝えられていくのか?個体が死を迎えると同時に消滅するのか?
 という事柄に答えるのは少し別の切り口が必要・・というのが次回のお話となります。
 

 

 

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2013年4月10日 (水)

八回目<無意識への招待>その1

■H25年4月10日

八回目<無意識への招待>その1
    *決してオカルトの話ではありません

*FACEBOOKを始めたのですが、そこに書き込んだ内容をここで解説したいなあ 
と思います。そこでこれから「建築にまつわるエトセトラ」には建築にまつわらない話もいっぱい登場します!ご了承を・・

 まず:ほぼ確かな科学的事実

(トホホな話ではありますが)仕事が暇になってしまったのに乗じて面白いYOUTUBE動画を見つけました。→
「意識は幻想か?-「私」の謎を解く受動意識仮説 講師:前野隆司」
 
今この画面を見ているあなたは「自分で選択してこの文章を読んでると思っているでしょうが、実はあなたの中の「無意識」の判断を追認しているだけなのです。
という内容の仮説を実証的に説明しています。
 知覚反応実験の結果と、脳内の信号伝達のスピード(意外と遅い!)からして、そう考えるのが妥当だと言う説です。
 前野氏はロボットの人工知能研究の立場から「仮説」としていますが、良く調べると脳神経学者にとっては、ほぼ常識となっている話のようです。もう少し詳しく知りたかったので
「意識は傍観者である(デイビッドイーグルマン著)早川書房」を読みました。それでは「意識」は何をしているのか?この本の表現を借りれば
「意識」は企業のCEOのようなもので、受け取った報告を記憶する(前野氏は「エピソード記憶」と呼んでいる)のが仕事。ただそれを基に将来のビジョンを立案する能力がある。
とのこと。「無意識」の中にある経験だけでは解決できない問題の答えを出すと言うことでしょう。

 多分ほとんどの方は「うそやろ」と思うでしょうが、私はこの手の話題には興味があり、下知識を持っていたので「そうかそうか」といろいろ腑に落ちました。というのは、この図式がいろんな話と符号するからです。

[統合失調症の原因ー「ドーパミン仮説」]
 統合失調症の原因には諸説あり、実際には複合した原因で発症するようですが、一番しっくりくるのは「ドーパミン仮説」です。脳は知覚した情報を無意識に全て入力してしまうので、全てを処理しようとするとパンクしてしまう。そのため脳内ではドーパミンとかエンドルフィンといった「麻薬物質」によって制御していることが知られている。「麻薬物質」が不足すると何でも気になるのでいらないことにくよくよしたり、鬱病になってしまう。逆に過剰になると恐怖心が欠如し、殺人を犯しても平気でいられる。これが精神に異常をきたすという説。「無意識」は何でも知っていて、ほっとけば何でも実行してしまう怪物なのでしょう。脳はこれを微妙なバランスで飼いならしているのです。

[私たちホモサピエンスがネアンデルタール人を凌駕した理由]
 ホモサピエンスが出現した時代に反映していたのはネアンデルタール人でしたがやがて形成は逆転し、現在に至ります。なぜそうなったか?ネアンデルタール人も知能は高く、石器で狩りの道具等を作っていて、その技術を子孫に伝える「社会学習能力」は有していた。ただホモサピエンスにはさらに「固体学習能力」があり、「自分」が創意工夫することにより例えば道具を改良していったから、と言われています。「自意識」を持った事が今日の結果をもたらしたのでしょう。「意識」のCEOとしての地位が確立したわけです。ただその下で実務を担っている「無意識」には進化の仮定で生き残ってきた膨大な経験が例えば「免疫システム」という形で蓄積され、活用されているのです。

次に:こういうことやろなあという想像

[「無意識」はどこまで知ってるの?]
 天才的な業績を上げた人が、アイデアが「自分の意志に寄らず、天から降りてきた」ように感じた、という話はたくさんあります。たとえばマクスウェルの「電磁気方程式」ポールマッカートニーの「レットイットビー」ゲーテの「若きウェルテルの悩み」等々。(詳しくはYOUTUBE「果てしなき宇宙・無意識と創造性1994」を見てください)こうなってくると「無意識」の能力はどこまで広大なのか?と考えてしまいます。
 例えば大怪我をして意識不明の状態で手術中の人が、天井から見ていたかの様に手術の様子を記憶しているという話があります。(オカルトの話ではない!立花隆はこのような事例に嘘や誤解が紛れ込む余地があったかを「臨死体験」という著書のなかで検証していますが、そのような証拠は見つけられませんでした。)
 養老猛司はこれを「人間には知覚によるのではない(おそらく自意識がなかった頃には使っていた)認識方法が備わっているが、普段は意識されていない」のだろうと説明しています。となると「無意識」はどういう形で存在するのか?とさらなる疑問が湧いてきます。
 養老猛司の話を続けると、「自意識」がくせもので、「自己」を意識するということは、自己と外界の区別をつけないといけない。では「自己」が無くなれば外界との関係はどうなるのか?自意識と肉体は脳の働きにより同一性を保っており、どの部分を損傷すればその機能を失うかはわかっています。ある脳学者がその部分を損傷する怪我をした際、自分の脳で何が起こったかを記録しました。それによると「意識が水のように世界に溶けだした」と表現したそうです。自分自身を見てしまうという「ドッペルゲンガー」現象も同じ原因によると考えられています。

 ここまで来ると「無意識」が我々の生命の成り立ちに深い関係があるのは確かなようです。さらに「心」(また定義しにくい言葉ですが)と「無意識」がどういう関係にあるのかを考えていくといろんな話に結びついて行きます。
 初めて「無意識」を意識した人にはこれ以上の話題は付いて来てもらえそうに無いのでまたの機会にいたします。(興味をもった人はゆっくり考えといてくださいね!)

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