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2018年7月25日 (水)

61回目 まわりはみんなのっぺらぼう!その2

61回目 まわりはみんなのっぺらぼう!その2
     -私は「何物」?-

<日大悪質タックル問題から>

記者の質問
「監督の指示がご自身のスポーツマンシップを上回ってしまった理由は何か?」

選手の返答
「監督・コーチからどんな指示があったにせよ、自分で判断できなかったことは自分の弱さです」

この問題に関するTBSテレビキャスターの松原耕二氏のコメント
「私がニューヨーク支局時代、ヤンキーススタジアムで野球を観戦すると、観客・選手・監督の間に「敬意」が感じられた。日大チームにはこの「敬意」が感じられない。」

 選手が自分で判断することを尊重する環境をつくるのは、管理者側の仕事ですから、これは選手のせいではないよね。個々の判断を尊重することを松原氏は「敬意がある」と表現した。これは意味深い話ですね。

<イチローが日本に帰って来ない理由>

 この「敬意」の存在がイチローをアメリカに引き留めているのだろうと私はひそかに確信しています。おそらく「記録」や「名誉」よりも「敬意」がアメリカで野球を続ける楽しさに結びついているのだろう。

 日本の組織では、上からのコントロールが優先されて、間違っていると知りながら自分の意思で判断できないことはおそらく数多い。今、日大の選手と同じ思いを抱いているだろう方たち・・

 書類を改ざんしたり隠したりさせられる財務省や防衛省のお役人たち、それを指示したり、ほのめかせたりした方たち・・・・

<そして私は「何物」なんだろう?>

 正論を声高に叫ぶのはたやすいですが、実行するのは難しい。正論だけでは「社会」と折り合いがつかないことも多い。それは「賢い」とは言えない結果になりがち。どう折り合いをつけるかは、一人ひとりが自分で考えないといけない。

 「何物」は学生達が就職活動という場で自己と向き合いながら、社会とどう折り合いをつけていくかを描いた朝井リョウ氏の小説です。

例えば

二宮拓人(主人公)
大学時代は演劇活動をしていたが、辞めて就活を始める。冷静な分析・判断ができるがゆえに、自分を殺して「就活用の演技」をすることにためらいがあり、なかなか内定がもらえない。他人のこれみよがしな取り組みに対しても裏では冷めた目で批判的に見ている。

A君(名前は無し
与えられた質問にユーモアを交え、人を引き付けながらそつのない回答ができる。無理をして「演技」をすることもなく「地」で就活できるタイプ。

小早川里香
留学経験や資格、委員活動など持ってるものすべてをアピールして就活に臨んでいる。まるでそれまでの活動はすべて就活に利用するためにあったかのよう・・ただ二宮に言わせると、「自分の意見はひとつもない」ということになる。

宮本隆良
「会社の考えに合わせて自分を変えたくない」と、就活しないこと宣言し、クリエーターを目指す。だが現実には、なかなか成果に結びつかない。

 自己との向き合い方の典型的な登場人物を挙げました。(これだけではありませんが)A君以外は、それぞれ悩みをかかえながら、就活に向き合います。二宮に言わせるとA君も「自己を持たない」という批判対象になるのだろうか?私はA君のように振る舞える人はある意味うらやましいと思う。(私にはできない芸当なので)

 私自身二つの事を思った。
 ひとつは、自分に対する反省。私はアルバイトしていた設計事務所に就職したので、きびしい就職戦線を知らず、彼らのような自己との葛藤を経験していない。その分「大人」になれずに社会人になっちゃったのではないだろうか?
 ふたつめは、若者に対する同情。こういう経験を通して、彼らは過度に社会に同調することを覚えてゆく。結果、先ほどの日大選手のように後悔する結果となるかもしれない。また社会に折り合いをつけることは「夢」を失うプロセスでもありますね。不必要な同調圧力が存在しない社会であってほしい!

<敬意の感じられる社会へ>

 今の与党と野党の間には「敬意」のかけらも感じられませんね。結果、まともな議論が成り立たず、道理が死ぬという結果になっている。
 なぜそうなるかというと、主導権を持っている側が、その権限を自分の「損得」のためにだけ使って、人をコントロールしようとするからですね。
 日大チームもそうであるし、就職活動も同じです。

 これを解決する手段のひとつは、主導権を持っている人間が、好き勝手に振る舞えないルールをつくるという方法。ところが多くの場合、ルールを変える権利は主導権側にしかない。これが問題ですね。

<ウオーターゲート事件の教訓>

 1972年、ウオーターゲート事件の際、アメリカは、大統領の犯罪を捜査するには、FBI等政権のコントロール下にある既存の組織では不可能であり、他に対応できる制度がないことがわった。その結果独立検察官」という制度を創設した。独立検察官は、大統領ではなく、司法長官が任命する。それに対してニクソン大統領は、司法長官を罷免する等して、自己のあらゆる権限を使って、事件の捜査妨害、もみ消しを試みた。これが明るみになって、弾劾裁判に結びつき、大統領が辞任することとなった。今も「独立検察官」の存在は、トランプ大統領に恐れを抱かせている。

 要は、アメリカは、最高権力者をチェックする機関がないことがわかれば、民主主義の危機だと認識して新たな制度をつくったわけです。逆に言えば、権力者はその権力を自分に有利に使いがちなので歯止めが必要だということですね。しかし多くの場合、そういうルールにはなっていません・・・コントロールする方の判断にゆだねられることになります。

<避難は自主的に>

 とにかく、人を無条件にコントロールしようとするのがどうも間違っていると思います。
 先日の豪雨では、私の住む地域にも「避難指示」が出ていましたが、「何から」避難させようということがまずわからない。OX川のどのへんの堤防が決壊しそうだと言ってくれれば、何が危険でどちらに逃げればよいか自分で判断できるのに・・・
 避難する側もいろんな事情があるので、とどまるべき人もおるだろうし、逃げたほうが良い人もいる。とにかく、そんな事情は無視して、こちらがのっぺらぼうな集団という見方で一方的に命令だけが来る。
 福島第一原発の事故では、放射性物質の移動方向が示されず、ただ逃げろと言うだけで、多くの人が無用な被爆をこうむりました。

<簡単な結論>

 コントロールする側はされる側に対して

①十分な情報を提供し、指針を理解できるようにする。
②個々の自主性と多様性を尊重する。


 この二つの条件を満たすだけで、実に多くの問題が氷解すると思う。
 スポーツであれ、会社であれ、組織の方針を理解して自分で発送しながらプレーするほうが、はるかに応用がきく動きができるだろう。これが先ほど述べた「敬意」の中身なんだろう。
 もう一つ付け加えていえば、「絶対に勝たねばならない」とか「失敗はゆるされない」といった考えが、人をコントロールしたがる方向に向かわせる要因かなと思う。とにかく勝ち組にならなければ生きていけないような社会ではないことが前提条件になりますね。・・・

 
 

 

 

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