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2016年12月22日 (木)

56回目 「すいか」大好き!②

56回目 「すいか」大好き!②
     -「すいか」にまつわるエトセトラー

<「すいか」の視聴率について>

 このドラマは向田邦子賞を始め、多くの賞を獲得している。反面、視聴率は振るわなかった。(平均視聴率8.9%)実際、奥さんや、知人と話題にしても、誰も知らなかった。ここはどういう事なのでしょうか?
 私も建築デザインを仕事としているのでわかりますが、自分の好みとはかかわりなく、「完成度が高い」「スキルが高い」作品であるというのはプロとしてわかります。「賞」というのは「好み」で与えられるものではないですから、その質の高さは証明されたと考えてよいと思います。それではなぜ多くの人の「好み」とならなかったのか?
 脚本家の木皿泉はその後「野ぶた。をプロデュース(以下「野ぶた」)で高視聴率(平均視聴率16.9%)を得る。これは「すいか」の低視聴率を反省してテレビ局側が、旬の俳優を起用した結果だとも言われている。
 反面、ドラマの放送から10年以上経た今でも、「すいか」の熱烈なファンが多数いるという。人によって深くはまってしまうということですね。ここに視聴率が振るわなかった訳が垣間見えると思います。

 「すいか」のテーマは前回お話したように、「自分の存在意義を問いかけること」です。「小林」は、34歳になって、結婚もせずに、平凡なOLを続けている自分から逃げたくて、もがいています。「ともさか」は、双子の姉妹の死を引きずりながら、売れないエロ漫画家から脱皮できない自分に悩んでいます。「小林」とは対照的に、踏み外した道から戻れないという思いを持っている。同じように日々自分と向き合っている人達にとっては、深く共感できるストーリーです。
 でも世の中を見ていると、そうでない人の方が多いというのはよく感じる。自分はこんな悩みを持っているんだという話をしても「そんなこと悩んでもしかたがないじゃん。」という反応が返ってくることは多い。私はそういう人たちは正直うらやましいなと思います。
 そもそもそんな私でさえ、40歳を過ぎるまでは、悩みはあっても深く気にはしていなかった。自分と向き合うという事は、例えば自分を鏡に映しだして、醜いところを直視するようなものですから、むしろそのような行為は避けてたような気がします。テレビを見るならそんな現実を意識させられるよりも、楽しい時間を過ごせる番組の方を好むのでしょうね。だから若者にとってはとっつきにくかったかもしれませんね。

<「木皿泉」の脚本について>

 木皿泉氏はその後の作品である、「野ぶた」では、上記のことを意識しているように思います。まず、若者のストーリーであるということ。実際氏は「十代の人のために、真剣に、わかりやすく、媚びずに」という態度で創作したと語っています。
 さらに、前回「御都合主義」のところで述べましたが、結構突飛な演出により「軽い」表現がされている。こうして「娯楽性」を高めたことも視聴率に結びついたのでしょうね。
 いささか、突飛すぎる出来事も起こるのですが、これはむしろ「すいか」を見た人の方がわかりやすかったりします。「ああ、すいかのあの場面を極端にしたんだな!」みたいな。
 これも氏自ら語っているのですが、氏にとって「すいか」は原点のようなもので「何があっても、あそこに戻れば大丈夫」という存在だそうです。

 「野ぶた」について付け加えると、「すいか」と異なるのは、登場人Nobutawoproduce
物の印象が最初と最後で変化するところです。主人公の信子がいじめを乗り越えながら強くなっていくのはメインのストーリーですが、彰君などは、最初「うざい」奴だと思っていると、けっこう純粋な性格で応援したくなってくる。学校の担任の先生も「無気力な教師やなあ」という最初の印象が、結構、夢をもって教師をやっていることがわかってきたりする。

 氏の人物の描き方は、善人と悪人に分けてしまうのではなく、「人それぞれ事情があるんだ。それに流されてしまう弱い心を持ってるんだ」という思想ですね。ですので氏の脚本に完全な悪人は登場しません。「野ぶた」で信子に対して隠れて陰湿ないじめを繰り返していた女子生徒でさえ、そのうち馬脚を現して、あっさり罪を認めてしまう。面と向かっていじめを行っていた女子生徒も弱みをさらけ出して、逆に信子に説教されてしまう。

 こうして多様な人格が共存する道を探る。これは昨今、「絆」とか「一丸となって」といった言葉の裏で「多様な個性」が自由に発揮しにくい風潮に対するアンチテーゼであるのかもしれません。

<「ハピネス三茶」という包摂空間>

 「すいか」の舞台である「ハピネス三茶」はまさにこのような多様なPhoto_2
個性を許容する器です。「こんな自分がいていいのでしょうか?」と嘆く「小林」に対して「浅丘」は、「いてよし!いろんなひとがいていいのよ」と心を開く。こうして「小林」も「ハピネス三茶」の一員となっていく。
 思えば、「ハピネス三茶」のメンバーは皆家族に問題を持っていたり、欠損家族であったりする。いわば疑似家族を構成しているわけですが、ここで不動の「母」の役割をしているのが「浅丘」ですね。家をとびだしたままの「ともさか」に対して「浅丘」は「ずっとここに居ればよい」といってなぐさめる。こうしてそれぞれ「自分の存在意義を見出す」ためには「一人でない事」が大切だということを実感していく。
 「小林」と全く逆の立場にあるのが、一人で逃避行中の「小泉」である。「小林」の生活を垣間見ながら、「小林」をうらやましく思い、「三億円盗んでも何もいいことはなかった」と心境を語る。

 余談ですが、シナリオ本「すいか2」(河出文庫)には、「オマケ」として10年後の「ハピネス三茶」が描かれています。ここでは逆に「小林」が「浅丘」に「いてよし」という場面があります。十年後に皆がどうなっているかも含めて、お読みください。

<ライバルは1964年>

 最近「ACジャパン」の広告のナレーションがとてもいいと思う。「テレビCM]ではなく「ラジオCM」のほう。テレビのほうは「負けるな!」という命令口調でイマイチなのですが、ラジオの方はとても素直に聞ける。最後に「日本を考えよう」とあるが、ほんとに考えてほしいと思う。そうでないと今の日本は本当に生きにくい。「すいか」はこのことに対するひとつの回答だと思います。

(ナレーション:星野源さん)

おじいちゃんは、言っていた。
お金はそんなになかったけど、
笑顔はそこらじゅうにあった。
世界とはつながっていなかったけど、
近所の人とはつながっていた。

きっと、いまでもできるよね。

ライバルは、1964年。

2020年に向け、日本をかんがえよう

 

 

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