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2015年11月25日 (水)

51回目 「京都」考②

51回目 「京都」考②
      -京都の街並 今と昔ー

<円通寺の借景>
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 最初の写真は円通寺の庭です。遠くの比叡山を庭と一体の風景とした、「借景」の手法による庭。私はこの庭を見ながらぼおっと何時間か過ごすのがお気に入りです。
 奥にある生垣と比叡山の間には、市街地があるのですが、注意深く隠されています。このあたりは、京都にとっては郊外の住宅地にあたる地域であり、マンション計画もあったそうです。京都市眺望景観創生条例」により、高さ等の制限が設けられたことにより、この風景が守られたという経緯があります。ここの住職は時々話しかけてくるのですが、「何とか条例が間に合ってよかった!」と感慨深げに語っておられました。ぎりぎり危機が回避されたようです。
 ただこれは、マンションを建てようとしていた地主にとっては、販売による利益が少なくなる(あるいは計画が成立しなくなる)という結果をもたらしたはず。法律により権利が制限されたわけですね。その人にとっては、得してるのは観光客と寺だけだ!ということになる。ですから「景観を守る」と一言で言っても皆が賛成できる話ではない。これがこの問題の難しいところです。
 現実に、中心市街地にあった、老舗の「俵屋」旅館が、近くにマンションが建つことで眺望が阻害されるということで、問題になったことがありますが、マンション建設を阻止することはできていない。(何らかの調停があったようですが。)

<東山魁夷「年暮る」から考える>
Photo
 右の絵は東山魁夷作「年暮る」です。全く「素」のままの京都という感じですね。発表されたのは1968年、高度経済成長はもう始まってますので、街並みが壊れかけていたのでしょう。川端康成が「京都は、今描いていただかないと、なくなります。京都のあるうちに、描いておいてください」と進言してできた作品だそうです。おそらく一番「素」の部分が残っている場所を選んで描かれたのでしょう。
Photo_12 これはホテルオークラから東をみたアングルで描かれていますが、今の風景を同じアングルから写真撮影した方がおられますので引用させていただきます。とっても貴重な記録ですね!(http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e13edff4ce9a241c24e4407f04c976a1参照)
 上記のブログでも書かれていますが、この写真を見る限り、全くの「街並みの破壊」と見えます。奥に見えるお寺(要法寺)だけが変わってなくて、目印になりますね。このお寺以外は雑然とした街並みに変わってしまった・・・・
 もう少し詳しく分析してみましょう。これを航空写真で見ると、少し印象が変わります。
1_3 まず1961年。この辺りは町屋が広範囲に連続していた地域であることがよくわかります。道路の配置もよくわかります。町屋は道路に対しては屋根の軒の方を向けています。(これは「平入り」といいます。この地域は南北に生活道Photo
路が配置されているので、絵のアングルでは、軒を向けた屋根が多く見え、統一感のある構図になっています。道路からどんどん街区の奥に入っていくと、方向の違った屋根もあります。これらの屋根の間に「中庭」が設けられ、通風・採光を確保するのが、京町屋の仕組みとなっています。(写真参照)
 これに対して、2015年の航空写真。2_4
あたりまえですが、道路形態はほとんど変わっていません。上から見ると骨格は変わらないのに、横から見ると、ずいぶん変わっちゃったというのがわかります。ここのところがポイントですね。
  ちょっと考えてみてください。「年暮る」は切り取られた風景として、情緒あふれる絵となっていますが、この風景が、べたっと京都全体に広がっていることを想像すれば、ちょっと単調で殺風景ですね。ある意味、今の風景は、様々な人間の活動が表出して活性化した結果だともいえる。ただやはり横から見ると、なんか他に方法がなかったのか?と思いますよね。

<ではどういう方法があったんだろう?>

 1960年代からの約50年の間になにが起こったか。横から見た写真を比べればよくわかります。

①人口増により、高層化が必要になりました。地価が上昇して高度利用が(経済的に)要求されました。
②上記と同時に、建物の不燃化が要求されました。従って建物のスタイル、質感が変化しました。この地域(準防火地域)で言えば、三階建て以上で耐火性能が要求されます。
③モータリゼーションにより駐車スペースが必要になりました。その分、スペースが必要になり、土地利用はさらに制約されました。
④新たな機能を有する建築が必要になった。例えばマンションとかショッピングセンターとか、コンサートホールとかですね。

 私は建築設計が専門なので、「年暮る」の「素」の状態をベースにして、「景観」を保全しながら上記の設計条件を満たす方法はいくつか思いつきます。まずは道路際は軒の高さを変えないで、奥に行くに従って、高さを上げていけば、視覚的には一番良いですね。そういうことは、建築デザインの訓練を受けていれば、誰でも考えます。私が考えなくても、すでに提案されているのをお見せします。
Photo 右の図は「町屋型集合住宅(巽和夫+町屋型集合住宅研究会)」の資料から引用しています。(若干加工しています)これは「元の景観の流れを受け継ぎながら、時代の要請に応じて機能を変化させていく方法」です。こうして街並みの連続性を確保するわけですが、この場合は、アナロジカル(類推性)の連続性」と言います。
 別の方法としては、町屋はある地域を限定して「そのままの形態で保存するPhotoという方法」もあります。橿原の今井町ではそのような手法がとられています。(写真参照)これは、機能をそのまま維持するという意味で「ホモジニアス(同質性)の連続性」と言います。
 さらに上記④の解決方法としては、異質であるが、十分吟味された建築を注意深く挿入するという方法」もあります。写真に示すのは、パリのポンピドーセンターの例です。この建物はできた当初 2_6は物議をかもしたそうですが、今ではすっかりパリッ子の間で定着しているようです。これは「ヘテロジニアス(異質性)の連続性」と呼ぶことが可能です。
 要は、既存景観との「連続性」をどういう方法で継承するかを決断すればそれなりの方法はあるわけです。問題は、なぜ連続性が途切れてしまったか?連続性を維持することが可能であったか?将来可能であるか?ということですね。

<では何が現実か?>

 現実的には、古い町並みはどんどん失われていっています。今何が問題だったかということを整理します。

①「京都」の地域とは関係なく、普遍的な「経済性」「効率性」が適用されてきた。
②さらに上記の手法が、「個別的」に適用されざるをえなかった。結果として「雑然」とした街並みが形成された。

 京都では2007年に景観条例が改正され、全国でも最も厳格な規制が成立しました。遅きに失したという人もいます。さてこの「規制」で景観が守れるでしょうか?
 例えば、地域によっては市街地で「軒を出を60cm以上、けらば(妻側の屋根)の出を30cm以上」という規制がありますが、これは、中心市街地では妻側の外壁が隣地側でほぼ接していますから、建物の幅を60cm小さくしなさい、と言っている内容です。これは間口が平均3間(狭いものでは2間、1間は約1.8M)で奥行きの大きい京都の町屋では、建替えは非常に不利な条件を飲むということを意味します。
 「景観問題」は建築デザインンの問題ではなく「個人の行動」と「社会性」のせめぎ合いの問題なわけです。あれ、そういう分野についてはこのブログでは何度も話題にしてきました。同じ文脈で活路が見出せるのではないでしょうか?というのが次回の話題であります。

 11月22日(連休の中日)に京都へ紅葉を見に出かけた。これは昨年に引き続き、我が家の恒例行事となりつつあります。実は今年の紅葉は気温と雨の関係でここ10年で最悪だったそうで、残念ではありました。それよりもなによりも昨年と大きく異なったのは、観光客の数が爆発的に増えたという事。駐車場もお寺もレストランも、長蛇の列を我慢しない限り利用不能。オーバーフロー状態でした。
 観光業というのは、売り上げが増えても必要経費がさほど増えない産業ですから、絶対もうかってるはず!この利益を、「観光」「景観」という名のもとに我慢を強いられている住民に還元しないのはおかしいですね。この辺りが問題解決のポイントではないか???

 

 
 

 

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