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2013年7月18日 (木)

20回目 伊坂幸太郎への依頼

■H25年7月18日

20回目伊坂幸太郎への依頼

<うちの娘のこと>
 うちの娘(A美)は本年4月より精神福祉士として病院勤務を始めました。その理由は本人曰く「お世話した人の笑顔が見たい。」実はA美本人が精神的に苦悩していた時期があって、それを乗り越えてなんとか大学を卒業しました。その苦悩は実は高校生の時から始まっていたことを親は後で知った。その責任はまず私たち親にあり、共働きで正直、家庭環境はよくなかった。そのことについては取り返しがつかないことだと申し訳なく思っています。一方、高校生活もあまり楽しく無かったみたいで、これは当時からぼやいてましたが、先生がきらいだったらしい。私らの世代から見ると「それはわがままだ」と思うし、今の先生はいろいろたいへんやなーとは思う。そのたいへんさを自衛しようとするとどうしても「サラリーマン化」せざるを得ないとも思う。ただ私が通った高校の先生とは今でも交流していて、会合もあればFACEBOOKのやりとりもある。そういうのがA美には多分今後も無いだろう。そんな時考えてしまうのです。
「伊坂幸太郎が先生だったらよかったのにね。」・・・・

<文才:井上陽水>
 
私が今まで出会った中で一番スゴイと思った文章は沢木耕太郎の「若き実力者たち」の文庫本における井上陽水の「あとがき」です。書き出しはこうです。
 
「私が思っていたことは、沢木耕太郎に殺人を依頼することだった。」
沢木耕太郎がいかに殺人者としての資質を有しているかを説くことにより、寸分の無駄の無い文章で、沢木耕太郎の人物像を浮き上がらせている。
 今回は(無謀ですが)この文章の手法をお手本にしながら、同じコータローでも沢木ではなく伊坂幸太郎(以下「伊坂」と敬称略)氏のお話をしたいと思います。ただ残念ながら井上陽水と沢木耕太郎は(真夜中にいきなり電話するくらいの)友人関係ですが、私は全く伊坂と面識は無い(声すら聞いたこと無い。)ので、一方的な人物像であることをお断りします。
 
<伊坂は女性に好かれる!>
 そもそも伊坂の名はうちの奥さんと娘の口から知った。一時2人はしょっちゅう「イサカ」「イサカ」と、こそこそ本の噂話をしていた。私の場合、特に奥さんとは読む本の好みがほとんど正反対なので、あまり意識はしていなかったのだが、ある日、古本屋で本を選んでいるとき「重力ピエロ」が目に止まり、試しに読んでみた。(何故家族の本を借りないのかと疑問の方もおられましょうが、彼女たちは「私が読むと本が傷む」ー本当にそうなのですがーといって本にさわらせてくれません。)
 読んで彼女たちが何故伊坂に惹かれるか、何となく想像できた。登場人物の魅力もさることながら、口にする
お洒落なセリフに惹かれるのだと思う。おそらく。
 
「重力ピエロ」で言うと、例えば
・「楽しそうに生きていれば、そのうち地球の重力なんてなくなる」「その通り、わたしやあなたはそのうち宙に浮かぶ」
・「ええ、優しさは想像力だと思います」

 なんてね
*「伊坂幸太郎 名言」と検索すればいろいろ面白いサイトが見れますよ。


<伊坂は単なるストーリーテラーではない!>
 ただこの文章を書こうと思った時に困ったのですが、正直言って、ストーリーとか結末をあまり思い出せない・・。これはどういうことか?残っているのは「共感」です。伊坂の現実に対するまなざしは少なくとも私の心情をうまく代弁してくれてるなあと感じます。その記憶は確実に残っている。 
 多分「表現したい主題」が先にあって、そのための登場人物やストーリーを創作して行くという作り方なんだと想像します。だからおそらくストーリーや結末自体にあまり意味は無い。またそのためには非現実的な設定もありなんですよ。(例えば「しゃべる案山子(オーデュボンの祈り)とか「孫悟空(SOSの猿)とか!
 ストーリー性よりも主題が大事!というのが伊坂のスタイルです。きっと

<伊坂は訴える!>
 
「重力ピエロ」→「オーデュボンの祈り」→「陽気なギャングが地球を回すの順に読んだと記憶する。最初からうすうす感じていたことがあって、読む度に多分それは当たってるという確信が高まりました。それは
 
「この人は『法律を逸脱しているが正義であること』の存在価値や『法律に裁かれないが悪であること』の不条理を描きたいのだなあ」
 
そもそも法学部出身で法曹界の仕事をしてないというのは「法律」に矛盾を感じているからではないか?私も仕事上「弁護士沙汰」を経験したことがあるので知ったのですが、「法律」というのは「正義」とは全く関係なくて、「法文に書いてあるかどうか」だけが問題です。そこには個人の良心とか、思いなど入り込む余地は全く無い。
 「法律」と一見似ていて、行動の判断基準とされるものに「仁義」がありますが、この二つは比べようも無い。「法律」は人間が社会生活を破綻させないための単なる「手段」「便宜」ですが「仁義」となると、人生の拠り所であり、生き方なのですから。私は「法律より仁義の方が大事」と思っています。伊坂も多分同じ感覚を持っていてそれを世の中に訴えたいのだと思います。それは裁判ではなく小説という形式で!
 この
「訴え」が社会のありかたそのものに向けられたのが「モダンタイムス」です。
・「自分たちのはめ込まれているシステムが複雑化して、さらにその効果が巨大になると、人からは全体を想像する力が見事に消える。かりにその、『巨大になった効果』が酷いことだとしよう。数百万の人間をガス室で殺すようなやつだとしよう。その場合、細分化された仕事を任された人間から消えるのは『良心』だ」
・「自分たちの製造する能力が、想像する能力を超えてしまった時、
想像力と知覚が失われる

 伊坂さん。「訴え」は読者に届いてますよ!たぶん 

<伊坂は傷ついた人々を癒したい!>
 
あるインタビューで伊坂本人が
「僕の小説を読んで、朝、会社や学校に行くとき『気は重いけど今日も一日頑張ってみるか』と思ってもらえたらそれでよい」という意味の受け答えをしていました。(原文ではないです)これは伊坂の小説の原点だろうと思う。
 
SOSの猿」はひきこもりに陥った息子とその母親が少しだけれど希望の糸口をつかんでいく、「癒し」の話です。他人の痛みを知るとほおって置けない主人公の二郎が自分の無力さに悩みながら、物語は進みます。(実はもっと複雑な構成になっているのだけれど説明はとばす!)

・「二郎は、SOSを発している人間を救えないと嘆いているが、そうではなく、キャッチしているだけでも充分、救いになっている。そうは思わないか」
・「では、親はどうすればいいんでしょう」と訊ねた私に、ロレンツォの父親は頬を緩ませ、「『子供のことがわからないけど、わかりたい』そう思ってるくらいがちょうどいいんじゃないか」と言った。
・「わたし気づいたんだけど、眞人のことは大事な問題で、心配は尽きないんだけどね、それだけで私の人生が終わっていっちゃうのはまずいんじゃないかって」(中略)「まずい、という言い方はいいと思います。『悔しい』とか『残念』ではなく」

 で、この小説の主題は以下の文章に一番集約されていると思う

・別れた妻とは、離婚後、まったく会っていない。(中略)「幸せに暮らしているんですよ。奥さんは。その後、仕事で知り合った年下の男性と結婚して、今は子供を儲けて、小さな一戸建てで幸せに暮らしています。」「本当ですか?」(中略)「救われるでしょ?物語を想像するのは、救いになるんです
 
伊坂の「物語」は「癒し」が目的なんです。多くの場合

<伊坂の語り口ーエンターテインメントという形式ー>
 
かといって伊坂は自分の小説が世の中を動かせるとは過信していない。(「動かせたらいいな」とは思っているでしょうが)でも「伝えたい」という願望の表れとして「エンターテインメント性へのこだわり」があると思う。
 絵画でも音楽でも表現者は「自分を主張すること」と「人に受け入れられること」をどうバランスするか苦悩すると思います。大勢を前にして「理屈」や「道理」を生真面目に説明しても決して伝わらない。(これは私も実感してます。)ゆえにインターフェイスをどう構成するかがポイントとなる。中島みゆきがラジオなんかで(明らかに演出だが)バカに陽気な口調で話すのも同じことですよね。絵画は美しくないと誰も振り向かない。
 伊坂自身インタビューで「読まれなきゃ意味ないよね」「今はとにかく楽しい物語が書きたい」と語っています。

 一方、時間的に「語り継がれたい」という希望が「フィッシュストーリー」の話に現れているのではないか。これは言葉ではなくて音楽(しかもその無音部分)が時空を超えて語り継がれ、人を救うというお話です。(著者は違いますが言葉が語り継がれるという話では「エブリ・リトル・シング」(大村あつし)が好きです。)   

 伊坂は人を楽しませるために苦悩しています。人一倍

<「出発」についてースターターとしての先生ー>

 Photo_2 図は第22回読売国際漫画大賞受賞作「出発」(カワタカズヒロ)見れば見るほどにさわやかな作品です。
 子供たちは思い思いの方向へ、自分のスタイルで今まさにスタートしようとしている。笑顔で、しかも確信をもって、どこまででも走っていけそう。多分先生がいたから。ああ先生というのはスターターの役割だったんだなあと感じ入りました。こっちへ向かって走れ!と強制していないところがとてもいい!スタートした後、先生は心配そうに子供たちの後姿をいつまでも見送るんでしょうね。
 
 結論:伊坂なら先生の役割にふさわしい人物だと確信します。絶対!
 

 

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